日本
長い事エレクトロニクス、プラントシステムの設計に携わってきました。 過酷な現場作業に意外な面白さを見つけ、全国、つづ浦々の工事現場・長丁場の飯場生活。 結構楽しかったのを思い出します。 いまでも気分は「単なる電気屋さん」です(^_^)が、年を経るにつけそんな甘えは許されるはずもなく、さらにきつい仕事が。 大手IT企業との新たな関係から、システムを任される事になり大きく方向転換(今考えてみると、さして方向は違ってなかったが本人に取っては大きな方向転換に感じてた) 年月を経るにつけ、現場仕事から若手いくせいに大きく変化。 やれ、オブジェクト指向だ、グループ・ウェアだ、と目まぐるしい変化。 あちこちの飯場で出会った「威勢のいい おあ兄いさん達」と同じ感じで熱く押し寄せてくる新たな仕事環境。 懐かしく思い出すこの頃。 引退をした今、ふと目標を失っている自分が。 若い頃、まだ、まともな「コンパイラー」など、望むべくもなく外国の文献をあさりながら「テセンブラ」(この言葉さえ知る人はいない?) 今、本格的なプログラムを書くと数十万行が当たり前の作業ですが、私の始めたころは、たった4ビットのマイクロプロセッサー。 メモリーも千バイト程度の世界。 やっと8ビットのマイコンが出てきて、数Kバイトのプログラムで、飯が食えた時代です。(1Kバイトの機械制御ソフトが30万円で売れた) 今は、大掛かりな、それこそグループ・ウェアで作成するのが当たり前のソフト業界ですが、意外と小規模で高性能を求められる要求は、今でも有効なのですね。 特に電化製品に多用されている、AVR、PIC など、目を見張るものがありますし、これ、無限の可能性を持った高機能製品なのです。 液晶表示器も、大きな変化を遂げました。 私が最初に手にしたものは、ドイツ製だったかな、小さな会社の製品が初めてでした。 7mmx12mmくらいの単品液晶を手にしたとき、将来の表示器はこれになるのだろう と感じました。 ですが、そのものの出来栄えは、実に稚拙で、少しの力で中の電解液がもれてきて、すぐに壊れてしまうのでした。 それでも何とか、パルス駆動に成功し、紫色に光った時は感動。 小さなプログラムには、たくさん喜びも隠れていました。 そして、今も変わることなく、プログラムの醍醐味は、そこにあるのでは?・・・とも思うのです。 そんな気持ちから、お役立てる何かが出来るかも・・・と10年位前から、MQL に親しんできました。 プログラムは、若い頃に知り合った米人から教わりました。 この事は、運だけに恵まれてきた私にとって人生最大の幸運です。 いまは、あまり知られていない言語ですが、パスカルと言う言語から学び始めました。 その後フォートラン、ベーシックなどが出てきて、高級言語が浸透していきました。 パスカルが出てくる前は、先に書いた「テセンブラ」で一文字一文字書いていたのが、コンパイラの出現に「まさに高級言語」と驚かされました。 そのあたりから、機械制御の関係にどっぷり、プラント産業のシステムに携わる事になったのです。 いまでは、C言語からC++とすすんで・・・この頃までが私の経歴。 これに一番類似しているのが(派生元が同系統)のMQL ですね。 この言語の素晴らしいところは、専用関数を多数用意している点です。 昔は、力業でむりに作られていた関数もありましたが、いまでは、かなり構造的にも整理されているようです。 ソフトは、言語に限らずその細部の難しさは永遠についてきますが、これを解決するのは「難解な積み木を組み立てる喜び」に通じる「あじわい」が、おそらく現役のプログラマー方々の【密かなよろこび】であるのだろうと推察します。 若い人には、苦しみと一緒にそれ以上の「よろこび」のある仕事に携わって欲しいと切に願います。 それが自分の更なる成長と「希望」を支える【いきがい】にできれば真に幸せな人生といえるのでしょう そういう目標を「高々と」(密かにでも良い(^_^))かかげてほしいと思います。 稚拙な長文に耐え・・・・ ここまで読んでくれた 忍耐強い ・ ・ ・ ・ あ ・ な ・ た、 未来の輝かしい「成功者の一人」となれることでしょう。 ありがとうございました。