【朝の独り言】「良いところにフォーカスする」「怒らない=怒りを使う必要がない」「自由とは他者から嫌われること」【考え方価値観】
良いところにフォーカスする
あるものにフォーカスする
「フォーカス」は「集中する」「着目する」「焦点を合わせる」「ピントを合わせる」という意味のカタカナ語で、英語の意味とほぼ同様に使われています。
「ごめんなさいよりありがとう」
「遅刻してごめん」→「待っててくれてありがとう」
「嫌われる勇気」ダイヤモンド社 より
ほんとうの自由とはなにか
あなたは先ほど「誰からも嫌われたくない」ことを認め、「わざわざ嫌われたいと願う人間など、どこにもいない」といいました。
ええ。
わたしだってそうです。他者に嫌われることなど望んでいない。
「わざわざ嫌われたいと願う人間などいない」とは、鋭い洞察といえるでしょう。
とはいえ、われわれの努力とは関係なく、わたしのことを嫌う人もいれば、あなたのことを嫌う人もいる。
これもまた事実です。
アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。
つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。
しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。
ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。
なんですか?
すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。
な、なんですって!?
あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
い、いや、しかし……。
たしかに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。
【嫌われる事を怖れるな】
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われる事を怖れず、承認されないかもしれない…
というコストを支払わない限り、自分の生き方を貫く事はできない。
【導きの星】
自由を選ぼうとした時、道に迷うことはあるでしょう。
その指針さえ見失わなければいい。
こちらの方向に進んで行けば幸福がある。
という、巨大な理想になります。
それが「他者貢献」です。
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。
嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。
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