「マーケットの語り部」雨夜恒一郎 8000文字インタビュー「外銀時代の荒くれ者列伝と今後のFX業界」
雨夜恒一郎さんプロフィール
20年以上にわたって、スイス銀行、JPモルガン、BNPパリバなど、大手外銀の外国為替業務要職を歴任。金融専門誌「ユーロマネー」における東京外国為替市場人気ディーラーランキングに上位ランクインの経歴を持つ。2006年にフリーランスの金融アナリストに転身し、独自の鋭い視点で為替相場の情報をFX会社やポータルサイトに提供中。
●聞き手:鹿内武蔵(編集部)
為替の黎明期に外銀で感覚を鍛える
鹿内 雨夜さんといえば、大手外資系銀行を渡り歩いたという経歴をお持ちですが、なぜ大学卒業後に外資系銀行で働こうと思ったんですか。
雨夜 もともと、都銀の就職試験を受けましたが落ちてしまって。外資系も挑戦してみようと思ったのが最初のきっかけですね。で、受けてみたらそっちの方が面白そうだと分かったんです。
私が就職活動していた1985年当時は、まだJPモルガンやチェース・マンハッタンといった外銀が、やっと日本の学生の間で認知され始めた時期でした。バブルに突入する直前の時期で、就職活動は結構大変でしたね。いくつか外資系銀行を受けた結果、英語ができるということもあってファーストシカゴ銀行に進むことにしました。
鹿内 当時、外資系銀行に就職する人は結構珍しかったですか?
雨夜 会社名をいっても知っている人はあまりいませんでしたね。新卒で入社した同期も10名程度。ただ、ファーストシカゴは当時、業界ではダントツの存在感でした。また、円高に突入していく時代だったので、大きく儲けることができましたね。今みたいにコンプライアンスも厳しくなかったので、ポジション持ち放題でやってました。
鹿内 今トレードをやっている人たちは、インターネットからたくさんの情報を得られますが、当時はどうやって情報を集めていたんですか?
雨夜 そのころは情報源といったらロイター、ダウジョーンズ、日本だと時事通信社だけ。会社で使っている専用のコンピュータには、レートしか表示されない。ニュースも、テレックスみたいな機械にガタガタと打ち出されて、同じニュースを後で見返そうと思っても簡単にはできませんでした。それに、情報源も全部英語なので、とにかく必死で訳していました。
鹿内 英語が分からなければ話にならない…。
雨夜 英語を一晩中読んでました。で、翌朝先輩社員が来たときに「こんなニュースありました!」って見せるんですよ。先輩には、一晩でニュースを要約して、翌朝教えるようにいわれてましたね。
今は苦労しなくてもネットで全部タダで情報が見られますけど、あのころはどこの国の金融政策が何時に発表されるかすら、誰も分からなかったですからね。
鹿内 今は何でも情報がオープンですよね、情報格差がなくなったというか。
雨夜 当時は中央銀行が必ず情報を公開してくれるとは限らなかったです。突然金融政策が変わってしまうこともありましたし。本店に直接電話して、FOMCの議事録をFAXしてもらって、それを日本語訳したり、とにかく情報収集にかかる労力は今の何十倍ですよ。
鹿内 ネットで無料で見られる今とは大違い。
雨夜 そういう意味では、当時から活躍しているディーラーは下地ができているんだと思います。自分で動かなければ、何も情報が入ってこなかったので。ただ、外銀は比較的情報を持っている方だったと思います。ニューヨークのエコノミストに頼んで、必要な資料を送ってもらうとか、そういうコネクションはありました。ある意味恵まれていたかもしれません。
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