現役為替ディーラーが、話題のアノ人と語り尽くす Trader’s対談|ゲスト 山中康司 前編[トレイダーズ証券みんなのFX 井口喜雄]
山中康司さんプロフィール
1982年バンク・オブ・アメリカ入行、1989年バイスプレジデント、1993年プロプライエタリー・マネージャー。1997年日興証券入社、1999年日興シティ信託銀行為替資金部次長。2002年アセンダント社設立・取締役。
公式サイト:アセンダント/山中康司が提供する為替情報配信サイト
Twitter:https://twitter.com/yasujiy
井口喜雄さんプロフィール
いぐち・よしお。トレイダーズ証券市場部ディーリング課。認定テクニカルアナリスト。1998年より金融機関に従事し、主に貴金属や石油製品のコモディティ市場を中心としたカバーディーリング業務に携わる。2009年からみんなのFXに在籍し、「米ドル/円」や欧州主要通貨を主戦場にディーリング業務を行う。ファンダメンタルズから見た為替分析に精通している他、テクニカルを利用した短期予測にも定評がある。最近では、みんなのFXの無料オンラインセミナーにも登場し分かりやすい講義内容が好評を得ている。さらにTwitterでは、プロディーラーが相場についてリアルな意見を発信しているので要チェック。
Twitter:https://twitter.com/yoshi_igu
※この記事は、FX攻略.com2020年6月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
多くのことを学んだ職業トレーダー時代
井口 金融の世界でご活躍されている山中さんですが、まずは経歴をお聞かせください。
山中 バンク・オブ・アメリカ(以下、BofA)入社から金融の道に踏み出しました。就職活動時にディーラーが面白そうだったので、「ディーラーには希望すればなれますか?」と質問したら、BofAに「君が望むならやらせてあげるよ」といわれたのでBofAに入社を決めました。
当時のBofAはトレーダーの養成に力を入れており、私もディーラーの研修を受けました。ドル円のアシスタントをしていたのですが、研修でNYに行ったら向こうのドル円ディーラーが突然入院して、急きょ代役となりました。その数日後にプラザ合意が起きて、年末にかけて240円から200円まで約40円もの円高となりました。ディーラーを続けるか悩んでいた時期もありましたが、大きなイベントとしてプラザ合意があったからこそ今でも為替の世界にいるんだろうなと思います。
井口 プラザ合意が行われたのは入社何年目のころですか?
山中 3年目です。大きなイベントは学ぶべきことも多いですが、少しうまくいくと運を実力と勘違いして大変な目に遭うということをその後に経験しました。プラザ合意のときは円高が続いていたので、ドル円をただ売っていれば儲かったんです。次にドイツマルクを手掛けて、すごい金額を動かしていました。東京外国為替市場の出来高の約2割を一人で自由自在に動かしていたんです。気がつくと周りにいる銀行が全て中央銀行になっていて「東京の山中をつぶせ」と、全員が私とは逆の取引をしていました。それでおとなしく取引することを初めて覚えました。そのときは平気で数億ドルのポジションを持っていましたが、取引額を数千万ドルに減らしても儲かる金額はほとんど変わらないどころか、逆に小さい金額の方が身動きしやすく損益的にもブレが少なかったのでポジションを減らしていきました。最初のころにそういった勘違いを経験して良かったです。
そして、アジア通貨危機直前の1996年後半くらいからアジアの各支店で巨額な損失が出始める状況になりました。その当時の私はプロプライエタリーといって好きに取引していい立場にいましたが、プロプライエタリーを排除する動きになったのでこの機会に辞めようと思い、1997年にBofAを退職して日興証券に入社しました。夜眠れるようになってうれしかったです(笑)
井口 外資系は激務だといわれていますからね。
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