私の歴史的ショック経験談~プラザ合意~[水上紀行]
経済動向を振り返ると、過去にはリーマンショックやスイスフランショックなど、さまざまな歴史的ショックが起きてきました。世界経済に影響を与える大事件は今後も発生する可能性があるだけに、そういった金融危機とどう向き合っていくべきか気になるところでしょう。ここでは水上紀行さんに、歴史的ショックの一つに挙げられる「プラザ合意」を振り返っていただき、そのときどう対処したのか教えてもらいます。
※この記事は、FX攻略.com2018年11月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
水上紀行さんプロフィール
みずかみ・のりゆき。バーニャ マーケット フォーカスト代表。1978年、上智大学経済学部卒業後、三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)入行。5年間の支店業務を経て、ロンドン、東京、ニューヨークで為替ディーラーとして活躍。東京外国為替市場で「三和の水上」の名で知られる。ドレスナー銀行にて、外国為替部長。1996年より RBS銀行にて、外国為替部長を経て、外為営業部長。2007年より バーニャ マーケット フォーカスト代表。長年の経験と知識に基づく精度の高い相場予測には定評がある。
ドル円は10年間で240円から80円に
現在、トランプ米大統領による通商政策が物議を醸していますが、今から33年前に行われた日本に対する通商交渉であるプラザ合意は、日本に甚大なダメージを与えました。しかし、日本はその災禍を乗り越え、さらに成長していきました。このプラザ合意を振り返ると共に、そのとき私が相場でどう対応したかをお話ししてみたいと思います。
プラザ合意は、1985年9月22日(日)に米国ニューヨークのプラザホテルで行われた先進5か国(日、米、英、独、仏)財務相・中央銀行総裁会議で、実質的に日本の貿易不均衡を是正するために大幅な通貨調整(円高誘導)を行うということで合意したものでした。
「週末に先進5か国が大幅な通貨調整で合意する」という情報は、前の週の金曜にニューヨークのチーフディーラーから、私がいたロンドンのチーフディーラーへも連絡が入りました。その連絡を受けたロンドンのチーフディーラーの表情は見る見るうちに紅潮し、電話を切るや否や決死の思いでドル円を売りまくりました。あの光景は、いまだに忘れられません。
そして、合意された翌日月曜1日だけでも、20円ものドル安円高になりました。このとき、日本の大蔵省と日銀は何をやったかといえば、ドル円でドル売り介入、また円金利を高めに誘導することで、より円買いが進むように仕向けました。日本の輸出産業が真っ青になっているところに、後からどんと押すようなことをしたのですから、どれだけ当時の日本に外交力がなかったかが分かります。
この相場は10年続き、プラザ合意前に240円だったドル円は1995年には80円になってしまいました。つまり、160円ものドル安円高です。10年間でドルの価値は3分の1になり、円の価値が3倍になるという凄まじいものでした。
よろしいですか?