人工知能と相場とコンピューターと|第3回 人工知能、概念の登場[奥村尚]
奥村尚さんプロフィール
おくむら・ひさし。1987年工学部修士課程修了。テーマはAI(人工知能)。日興証券で数々の数理モデルを開発。スタンフォード大学教授ウィリアム・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞受賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)。さらにイスラエルのモサド科学顧問とベンチャー企業を設立、AI技術を商用化し大手空港に導入するなど、金融とITの交点で実績多数。現在はアナリストレーティングをAI評価するモデル「MRA」、近将来のFXレートをAI推計する「FXeye」、リスクとリターンを表示するチャート分析「トワイライトゾーン」を提供。日本の金融リテラシーを高めるため、金融リテラシー塾を主催している。
趣味はオーディオと運動。エアロビック競技を15年前から始め、NACマスター部門シングル9連覇、2016年シニア2位、2014~2016年日本選手権千葉県代表、2017~2018年日本選手権 マスター3準優勝。スポーツ万能と発言するも実は「かなずち」であり、球技も苦手である。座右の銘は「どんな意思決定でも遅すぎることはない」。
ブログ:https://okumura-toushi.com/
※この記事は、FX攻略.com2020年6月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
1940年の東京五輪 日中戦争のため中止に
第二次世界大戦を経た1940年代半ばに登場した真空管を使ったコンピュータは、コンピュータサイエンスの分類上、第一世代と呼ばれます。当時のコンピュータは真空管の限界もあって、性能や使い勝手、何といってもその巨大さや発熱など、マシンとしての完成度には限界がありました。
話がそれますが、1940年といえば、東京市(今の23区にあたる)でのオリンピック開催が1936年の国際オリンピック委員会(IOC)で決まっていました。その1回前、1936年はベルリンオリンピックがナチスドイツ主催で開催されました。聖火リレーを最初に行ったのは、この大会です。
第一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議で戦勝5大国(英、仏、米、伊、日)であった日本が、1936年のIOCでメンツをかけて取りに行ったオリンピック開催でした。組織委員会委員長は、貴族院議長・徳川宗家16代当主、徳川家達公爵です。しかし、中華民国(当時)との全面戦争の準備を進める軍部の(オリンピックどころではないという)意向で、政府が開催2年前に開催権を返上したのです(代わりに次点のヘルシンキで開催されるはずでしたが、第二次大戦勃発で中止。1944年も大戦のため中止)。
東京市の誘致活動費は8万5926円だったそうです。そのころは新卒教師の初任給が60円、公務員の初任給が75円で、当時の1円は今の2500円ぐらいにあたりますので、現在価値に換算すると2億1500万円で誘致したことになります(2020年東京オリンピックの誘致費用は75億円でした)。1940年(昭和15年)のドル円レートは1ドル4.27円(軍用レート)でしたから、当時の1ドル=今の1万円くらいの価値があると思ってよいでしょう。
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