【無料全文公開】私のFX仲間[水上紀行]
トレードは孤独な戦いであるからこそ、信頼できる仲間を作ることはとても大切だといえます。長年ディーラーとして活躍してきた水上紀行さんは、これまでにどんなFX仲間と出会ってきたのでしょうか。一般的には知ることのできないディーラーの世界を紹介してもらいます。
※この記事は、FX攻略.com2017年9月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
水上紀行さんプロフィール
みずかみ・のりゆき。バーニャ マーケット フォーカスト代表。1978年、上智大学経済学部卒業後、三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)入行。5年間の支店業務を経て、ロンドン、東京、ニューヨークで為替ディーラーとして活躍。東京外国為替市場で「三和の水上」の名で知られる。ドレスナー銀行にて、外国為替部長。1996年より RBS銀行にて、外国為替部長を経て、外為営業部長。2007年より バーニャ マーケット フォーカスト代表。長年の経験と知識に基づく精度の高い相場予測には定評がある。
世間は広いようで狭く思わぬつながりがある
「It’s a small world.(世間は狭いね)」という言葉が、ディーラー仲間の合言葉になっています。今から34年ほど前、私はロンドンで勤務していましたが、上司からスイスへ研修に行ってこいといわれて、一も二もなく出張しました。そして、それからの1週間は英語漬けで、1週間後には頭がテンパってしまい、思考能力が低下したところで研修の最後を飾るディーリング・シミュレーションがありました。
このディーリング・シミュレーションとは、ディーリング・シート(ポジション明細)を持って、違うグループにプライスを求めに行ったり、逆にプライスを求められたりしながら、ポジションをキャリーして(転がして)儲けていく訓練です。
しかし、頭がテンパってしまった私には相手にプライスを求めに行く余裕はなく、ひたすらプライスを出し、叩かれ、ポジションが積み上がっていくばかりでした。そしてとどめは、私のポジションが一気にアゲインストになるような情報が流れ、売りが殺到し、完全に沈没してしまいました。結局、私たちのチームは、私の大損で最下位となりました。
最後に、チーム別に記念品をいただいたのですが、講師は私に「これでハラキリはしないように」と忠告した上で、その銀行の紋章が入ったスイス・アーミーナイフを手渡してくれました。この講師の一言で会場は爆笑の渦となり、かえって人気者になったのです。
かけがえのない仲間との出会いは成長の糧となる
この研修では、その後のディーラー人生で関わりを持つ人たちができました。一人は当時ニューヨーク連銀にいた聡明な韓国人女性です。その後同じ独系銀行にて、彼女はニューヨーク支店、私は東京支店で働く同僚となりました。
また、同じ研修を受けた中国人ディーラーとはロンドン勤務の時期もニューヨーク勤務の時期も重なりました。年を追うごとに彼はスマートに着こなすようになり、そこから中国の変貌ぶりを垣間見た気がします。
全く別の機会ですが、東京でドル円のチーフディーラーをやっていたとき、フランスの大手銀行から3人のフランス人が表敬訪問してきたことがあり、その際にドル円の見通しを聞かれ自分が思うところを話しました。それから半年後、その3人のうちの1人であるパリのチーフディーラーが再び訪ねてきたのですが、私の相場観通りに乗ってうまくいったと喜んでくれたのです。こちらもそれを聞いて嬉しく思い、そこで東京市場の仲間たちを彼に紹介したら、えらく喜んでくれました。それをきっかけに、その後も連絡を取り合う仲となったのです。
それ以外にも、実際のブローカー経由での取引によって仲間になったディーラーもいます。それは、ある日の夜中のディールでニューヨークの銀行とぶつかり、たまたまこちらもポジションを閉じようと思っていたときのことです。スワップの取引でしたが、10億ドルを超すトレードを一発でやりました。それから数日後、その相手から国際電話があり、「今、香港にいるけど会いに行って良いか」というので、「もちろん」と答えたら、翌日早速やってきました。投機で有名なバンカーズトラストのスワップディーラーで、すぐさま旧知の仲となりました。彼はイタリア系の米国人で本当にできるといった感じです。
そのバンカーズのディーラーたちとは、ニューヨークで飲んだこともあります。そのときにインド人ディーラーが教えてくれたのですが、バンカーズは本当に大きなポジションを持っていて、たまたまポンドを持っていたら毎日バンク・オブ・イングランド(英中銀)がポジションを聞いてきたそうです。なぜなら、バンカーズの巨大ポジションが分からないと、バンク・オブ・イングランドは短期の資金繰りができなかったからです。彼はそれをとても自慢げに話してくれました。
ニューヨークにいたころは、邦銀各行(都銀、信託、地銀等)とも仲が良く、しょっちゅうゴルフをやったり、飲み会をやったりしていました。時にはシティバンクのような米銀大手のチーフディーラーも誘いましたが、米銀同士はライバル関係で、そうした交流の機会がほとんどないこともあってか、とても喜んでくれました。そこで出会った仲間の中には、本当に日本のファンになって東京勤務を希望する人もいたくらいです。
「Once a dealer, always a dealer」という国際ディーラー協会の合言葉があります。つまり、「ひとたびディーラーになったら、ずっとディーラー」という意味で、世界的にディーラー同士のつながりがいかに深いものであるかが分かる言葉だと思います。
残念ながら、電子ブローキングの普及など諸々の理由から、ディーラーのつながりも以前に比べて弱くなりましたが、やはり仲間とのつながりは持つべきではないかと思っています。
よろしいですか?