100%自分が原因。人に裏切られても自分が原因だと考える。脳科学から見る脳の使い方。
↓こちから続いてる話になります。まず、こちらから読むことをお勧めします。
100%自分が原因。「誰かのせい、何かのせいで負けた」という考え方を捨てないと勝てるようにならない。
人に裏切られたとしても、人のせいにはしない
ホリエモンこと堀江貴文さんもそのような考え方をしています。
『属さない勇気 堀江貴文著』
私はいまだに、「ライブドア事件では部下に裏切られて大変でしたね」などと言われる。なるほど、物事を表面的にしか見ないヤツはそうとらえるのか、と変に納得した。
しかし、実際のところ私自身は、まったく裏切られたとは解釈していない。
向こうの理屈がいくら間違っていたり、倫理的に外れていたりしたとしても、相手には相手の論理があるわけで、こちらがとやかく非難できない。
私はライブドア事件を、そう総括している。
そもそも裏切るようなヤツは、身近に置いてはいけない。社会人は、人への信頼度を高めるより、人間性を精査する「審理力」を磨く努力をすべきだ。
以上。
裏切られたとしても、裏切るような人を身近に置いていた、見る目がなかった自分が原因と考えることが出来ます。
脳科学的に見ても、つらい記憶を長期記憶化させない方法でもあります。
認知科学者(機能脳科学、認知心理学、分析学)カーネギーメロン大学博士
『「イヤな気持ち」を消す技術』 より引用
裏切りというのは、相手が意図的にそうするものです。
相手が意図的にそれをやった場合は、たしかに悪い奴は相手かもしれませんが、本来その原因は自分にあります。
いささかきつい言い方に聞こえるかもしれませんが、それは自分のせいであり、自分が悪いのです。
私がここで自分のせいというのは、その裏切りは相手と自分の人間関係の中で起き、自分がいなければ起きなかったことだからです。
それは相手だけの問題ではなく、必ず自分にも関係しています。
とはいえ、責められるべきは自分だ、という意味ではありません。
あなたが社長で、目をかけていた社員に会社の金を横領されたとしましょう。
そのときに、一つ上の抽象度のゲシュタルトをつくるには、「こいつ、許せない!」と相手に向かってカッとなるのではなく、まず「あ、自分のせいかもしれない」と自分のほうに向き直ることです。
そして「なぜ、あいつを採用したんだろう?次は、もっと人物をよく見て採用しよう」と、それを防ぐ方法を考えるのです。
「あ、自分のせいかもしれない」で始まる内省は、自らを客観的に見て、評価することです。
そのときに考えたことは、すべて、前頭前野の評価になるわけです。
一方「こいつ、許せない!」という情動のゲシュタルトには、前頭前野の評価がいっさいありません。
それをそのままにしておけば、「その体験は嫌だ!」というゲシュタルトが凝り固まり、「許せない」「許せない」「許せない」という情動が無限に繰り返されていきます。
そこで、「なぜ、その『嫌だ』が起きたのですか?」、もしくは「次は、それをどう防げばいいですか?」と自らに問いかけ、前頭前野を働かせ、その体験を評価するのです。
面白いもので、イヤな体験を評価し、前頭前野を働かせることをくり返していると、「許せない!」「嫌だ!」という情動がものの見事に鎮まっていきます。
この効果のほどを実感したいなら、あらゆるイヤな出来事が身近で起きたときに、これを試してみてください。
泥棒に遭った、後味の悪い喧嘩をした、優しく接するべき相手にひどいことをしてしまったなど・・・・。
これが、情動的にイヤな体験をトラウマにすることなく、長期記憶化させない一番の簡単な方法です。
引用以上。
抽象度という単語は、苫米地博士の造語です。
聞きなれない単語や造語が出てきて、はじめて見る人にはわかりにくいかもしれませんが、大事なポイントは、こちらです。
相手に向かってカッとなるのではなく、まず「あ、自分のせいかもしれない」と自分のほうに向き直ること
「あ、自分のせいかもしれない」で始まる内省は、自らを客観的に見る
これは、前頭前野の評価になる
そうすると、怒りなどの情動が鎮まって行く。
人間の脳は大きく分けて2つあります。
中心部の動物脳と、それを覆う人間脳。
そして、この2つの脳はどちらが一方が優位になります。
怒りや情動の働きは動物脳の働きです。
前頭前野は人間脳の働きです。
前頭前野を働かせるということは、人間脳を優位にするということになります。
そうすることで、怒りなどの情動が働く動物脳は鎮まって行くという脳の仕組みになっているわけです。
前頭前野は瞑想によって鍛えられることが科学的に証明されています。
私は瞑想をお勧めしていますが、こういう考え方がスムーズにできるようになるためにも、前頭前野を鍛えることは有効になるのでお勧めしています。
今回のまとめ
人に裏切られたとしても、相手のせいにしない
相手が意図的にそれをやった場合は、たしかに悪い奴は相手かもしれませんが、本来その原因は自分にあります。
相手だけの問題ではなく、必ず自分にも関係しています。
とはいえ、責められるべきは自分だ、という意味ではありません。
相手に向かってカッとなるのではなく、まず「あ、自分のせいかもしれない」と自分のほうに向き直ること
「あ、自分のせいかもしれない」と、自らを客観的に見る
「次は、それをどう防げばいいですか?」と自らに問いかけ、前頭前野を働かせ、その体験を評価する
この考え方は、
情動的にイヤな体験をトラウマにすることなく、長期記憶化させない一番の簡単な方法
で自分自身のためになる
続きます。
次の話→金持ちケンカせずの真の意味
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