3時の休憩[森晃]
森晃さんプロフィール
エコノミスト。シンクタンク(アメリカ合衆国)に所属。専門分野は、為替政策、金融政策、マクロ経済政策、金融規制。市場関係者、金融当局者、政策当局者と交流し、多方面から為替の動向について分析を行っている。
※この記事は、FX攻略.com2019年7月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
子供のころ、3時のおやつの時間が大好きであった。米国に来てから、外出先でお茶の時間に筆者が飲むものはもっぱらコーヒーばかりである。ティーバッグの紅茶や緑茶もあるが、正直いってあまりおいしくないのでめったに飲まない。家で、紅茶の茶葉をティーポットに入れ、よく蒸してから、お気に入りのカップで紅茶をいただくのは幸せな時間である。日本にいるころは、よくアールグレイの茶葉を買った。そして、祝日の論文書きの休憩時間に紅茶を飲むのが楽しみであった。
個人的な話であるが、紅茶に関する思い出をご披露したい。私が学生だったころ、お世話になっていた(今もなっている)先生の研究室を訪れると、その先生がよく紅茶を入れてくださった(非常に、人間ができた方で今でも人生の手本としている)。そして、先生は英国へ留学していたころのことをよく話してくださった。最近、先生に連絡したら、手術で入院するといっていた。早く良くなってくれるよう心から祈っている。
ユーロ誕生の歴史
1969年、ユーロ圏での単一経済市場の完成のために、European Community(EC:欧州共同体)の拡大を討議した。そして1979年、欧州各国は一つのECの完成に向けて通貨統合の礎であるEuropean Monetary System(EMS: 欧州通貨制度)を発足させた。1992年には、ジョージ・ソロスが率いるヘッジファンドにより、英国・ポンドおよびイタリア・リラは強烈な売りを浴びせられ、その結果、英国とイタリアはEMSからの離脱を余儀なくされてしまった。
しかし、1993年にマーストリヒト条約(*)が発効し、European Union(EU:欧州連合)として政治的・経済的統合がさらに進められた。1996年、離脱していたイタリアがEMSの為替相場メカニズムに復帰を果たすと、1999年、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スペイン、ポルトガル、アイルランド、オーストリア、フィンランドの11か国で、欧州単一通貨「ユーロ」が導入された。
その後、2001年からギリシャ、2007年からスロベニア、2008年からキプロスおよびマルタ、2009年からスロバキア、2011年からエストニア、2014年からラトビア、2015年からリトアニアがユーロを導入。この通貨統合は、欧州大陸におけるコスモポリタニズムの潮流を示すものでもあった。
* 1991年12月にオランダのマーストリヒトで開かれたEC首脳会議で合意された後に、ECの基本法であるローマ条約の改正、さらにECをEUに発展させて、外交・安全保障政策の共通化と単一通貨ECUを基礎とする通貨統合の達成をうたった欧州連合条約を採択した(イミダスより)。
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